相続税

「生前に全額預金をおろしておくことです」は危険?亡くなる前の預金引き出しの注意点とは

監修

中村亨

日本クレアス税理士法人 代表 税理士 公認会計士

ご家族が亡くなる前に、ご家族名義の預金を全額引き出すべき、という噂を耳にしたことはありませんか。

生前に全額預金を下ろしておくことで、以下に挙げるような相続手続き時のメリットがあると思っている人が多いようです。

  • 相続税の節税効果がある
  • 引き出しておけば預貯金口座の凍結を逃れ、預貯金を自由に使える

しかし、預貯金口座の名義のご本人に承諾を得ることなく、勝手に預金を全額引き出すと、大きなトラブルに発展するおそれがあります。

そこで、本記事では生前に全額預金をおろしておくことの危険性や、引き出す際の注意点を詳しく解説します。

1. 「生前に全額預金をおろしておくことです」は危険な3つの理由

入院・療養中等のご家族が亡くなる前に、全額預金をおろしておく行為は危険な行為でしょうか。

結論から言うと、引き出す際には3つの危険性があるため慎重に行う必要があります。

1-1. 相続税の節税効果は期待できない

預金をご家族名義の口座から生前に引き出し、タンス預金(自宅保管の現金)にしても、相続税の課税対象から外れるわけではありません。

生前贈与なら節税効果は期待できますが、ご家族の許可なく勝手に預金を引き出しただけでは、贈与にはならないのです。

また、税務署は被相続人の過去の取引履歴から財産を把握しているため、生前に引き出された多額の預金は相続財産として見なされます。

相続税の節税を目的とする場合は、預金名義人のご家族と協議し「暦年贈与」などの贈与を検討することが大切です。

贈与には贈与契約書の作成なども必要であり、贈与制度によっては要件もあるため専門家である税理士に相談し、適切な対策を講じる必要があります。

1-2. 引き出した相続人が着服を疑われやすい

生前に口座名義人のご家族へ意思確認せずに全額預金を引き出すと、相続の開始(ご逝去)後に他の相続人から着服を疑われる可能性が非常に高くなります。

入通院や治療費用への支払いなど、やむを得ない事情で引き出した場合でも、使用金額が説明がつかないと不当に取得したと疑われやすいのです。

家族間の信頼関係を損ない、遺産分割協議が難航する原因となります。

やむを得ず全額引き出す場合は、使途や支払いの履歴(レシート、送金履歴など)を残しておくことが大切です。

1-3. 相続人間トラブルに発展するおそれがある

遺産分割協議の際に、引き出された預金の使途が不明瞭だと、他の相続人との間で「なぜ全額引き出したのか」「どこへ消えたのか」といったトラブルに発展することがあります。

不当利得返還請求や損害賠償請求など訴訟に発展し、長期にわたる紛争に巻き込まれる可能性もあります。

2. なぜ生前に預金を引き出すケースは多いの?

生前にご家族名義の口座から全額預金を引き出すことは、相続の開始後に大きなトラブルに発展するおそれがあります。

しかし、それでも預金を引き出すケースは少なくありません。

そこで、この章ではなぜ生前に預金を引き出すケースが多いのか、3つのケースをご紹介します。

2-1. 葬儀費用を用意するため

ご家族の死期が近くなると、「葬儀費用」をどのように準備するべきか悩まれる方は少なくありません。

被相続人の葬儀費用は、被相続人が遺した現金や預貯金(相続財産)から支払うことも可能です。

葬儀は被相続人の死後、数日後程度を目安に行われます。

葬儀費用はその後支払いますが、この間に被相続人の死去にともない預金口座が凍結されていると、費用を捻出するのが困難になってしまいます。

そのため、ご家族が被相続人の生前に預金を引き出し、あらかじめ葬祭費用として確保しておくケースが多く見られます。

しかし、この方法は相続時に2つの注意点があるため、おすすめできません。詳しくは後述します。

2-2. 入通院や介護などの費用を支払うため

被相続人が病気で入院したり、介護が必要になったりした場合は、高額な費用が発生することがあります。

ご本人が入院や施設入居で手続きできない状況であれば、家族がご本人の許可を得て代理で預金を引き出すことは可能であり、実際に多くの方が引き出しを行っています。

ただし、ご家族の財産を使い込んだと思われないように、あらかじめ預金を引き出すことを伝えておくことがおすすめです。

ご家族の生活や治療のために使われた正当な支出として、レシートや領収証も保管しておけば、相続時にトラブルとなる可能性も低いでしょう。

2-3. 口座凍結をおそれて生活資金を確保するため

金融機関の預金口座は、口座名義人が亡くなったことが金融機関に知らされると、相続手続きが完了するまで一時的に凍結されます。

口座が凍結されると、水道料金やクレジットカード代金などの引き落としや振り込みもできなくなるため、日常的な生活費の支払いに困ることがあります。

これを避けるために、被相続人が生前に家族が生活資金を確保する目的で預金を引き出すケースも見受けられます。

このケースも、他の相続人に必ず事前に相談し、使途を明確にしておきましょう。

3. 生前に葬儀費用を引き出すのは危険!2つの注意点とは

「葬儀費用は高額と聞いているから、亡くなりそうな家族の口座から出したい」

「葬儀費用は相続財産に含まないと聞いた」

葬儀費用は確かに被相続人の財産から支払った場合には、相続財産として計上する必要はありません。

しかし、生前に葬儀費用を引き出しておくことには注意点があります。

特に税金や相続手続きにおいて、予期せぬトラブルを招く可能性があるため、慎重な対応が必要です。

3-1. 相続税の過少申告のおそれがある

相続税を計算する際、葬儀費用は被相続人の相続財産から控除できます。

しかし、被相続人の口座から生前に引き出された預金を葬儀費用に充てた場合、税務署は「被相続人の相続財産である」と判断することがあります。

例として、ご家族が生前に亡くなりそうな方の預貯金口座の総額500万円から、葬儀費用として見込まれる100万円を引き出したと仮定します。

引き出した後すぐに亡くなり、100万円を現金で葬儀費用として支払いました。

この流れを税務署は「死亡時に被相続人名義の現金が100万円あった」と考えるのです。

現金100万を計上せず、預貯金口座の残高400万円のみをその他の相続財産とあわせて相続税申告に計上すると、100万円の申告漏れのリスクがあります。

3-2. 税務調査を受ける可能性がある

生前に多額の預金が引き出されている場合、税務署は「贈与」や「財産の隠匿」を疑い、税務調査を行うことがあります。

特に亡くなる直前は、葬儀費用であっても多額の現金が引き出されている場合、その疑いは強まります。

  • 引き出した預金の使途が不明確であると、税務署は「相続人が個人的に使ったのではないか」と判断する可能性がある
  • 生前に引き出したお金が、相続財産として申告されていない場合、過少申告を疑われる

税務調査を避けるためには、引き出した預金の使途を明確にするための領収書や、明細書などをすべて保管しておくことが不可欠です。

3-3. 葬儀費用は死亡直後に引き出しも可能

被相続人の預金口座は死亡直後に、病院や公的機関から連絡を受けてすぐに凍結するわけではありません。

のため、死亡直後にお金を引き出すことも可能です。

また、凍結された後で遺産分割前であっても「相続預金の払戻し制度」の利用で預金口座からお金は引き出すことが可能です。

この制度は2019年(令和元年)7月1日に施行されたものです。

  • この制度を活用することで、相続人全員の同意がなくても、一定額(例:故人の預貯金額の1/3、ただし1つの金融機関につき上限150万円)まで引き出すことが可能です。
  • 手続きには、被相続人の戸籍謄本類、相続人全員の戸籍謄本と印鑑証明書などが必要です。

家庭裁判所の判断が必要なケースもあるため、詳しくは以下をご確認ください。

参考:一般社団法人 全国銀行協会 遺産分割前の相続預金の払戻し制度

3-4. 相続放棄を予定している場合はどうする?

被相続人に生前債務があった場合、相続人の中には相続放棄を検討する人もいるでしょう。

相続放棄は債務を放棄できますが、預金や不動産などのプラスの財産も放棄する必要があります。

では、葬儀費用は被相続人の財産から引き出してもよいのでしょうか。

葬儀代は被相続人の相続財産の中から支払っても、相続放棄は可能です。

ただし、一般常識の範囲内の費用に限られます。

納骨などの費用も支払いが可能ですが、香典返しや喪服代などは認められないため、線引きを相続人個人で判断することは難しい側面があります。

誤った費用の支払いを行ってしまうと単純承認と見なされ、相続放棄ができなくなるおそれがあります。

相続放棄を予定されている方は、葬儀関連の費用支払いの前に弁護士へ相談することがおすすめです。

4. 亡くなったご家族の預金を引き出す流れとは

被相続人の預金を引き出すためには、いくつかの手続きが必要です。

先に触れたように、口座名義人の死亡が金融機関に伝わると、預金口座は一時的に凍結されます。

そこで、この章では凍結された口座から預金を引き出すまでの一般的な流れを解説します。

4-1. 凍結されていたら金融機関に連絡

ご家族が亡くなられたら、まず被相続人の預金口座がある金融機関に連絡します。

死亡の事実を伝えると、金融機関は不正な引き出しを防ぐため、その口座を凍結します。
(親族が連絡をする前に、死亡の事実を新聞などで把握すると金融機関側が凍結している場合もあります)

凍結で生活や葬儀費用などのお金が必要となった場合は、必要に応じて払戻し制度を活用しましょう。

4-2. 遺産分割協議を行う

相続開始後は、被相続人の財産は「相続人全員の共有状態」となります。

そのため、誰がどの財産を相続するかを決めるために、「遺産分割協議」を行います。

この協議で、誰がどれだけ相続するのかを話し合い、相続人全員の合意次第「遺産分割協議書」を作成します。

遺言書がある場合は、原則として遺言書の内容に従います。

相続税申告が必要な場合、遺産分割協議書(もしくは遺言書)の写しが必要となります。

4-3. 必要書類を金融機関へ提出する

遺産分割協議が終わったら、金融機関が指定する書類一式を提出します。

一般的に必要となる書類は以下です。(※金融機関によって異なる場合があります)

  • 被相続人の出生から死亡までのすべての戸籍謄本・除籍謄本類
  • 相続人全員の戸籍謄本
  • 相続人全員の印鑑証明書
  • 遺産分割協議書(相続人全員の実印が押印されたもの)
  • 金融機関所定の払戻し請求書
  • 被相続人の通帳やキャッシュカード、届出印

4-4. 手続き完了

提出した書類に不備がなければ、金融機関での手続きが完了します。

一般的に手続きの開始から完了までは2週間~1か月程度が目安です。

手続きが完了すると指定した受取口座に被相続人の預金が振り込まれます。

※手続きは郵送のみで受付している金融機関も多く、時間がかかる場合があります。

事前に金融機関の窓口やウェブサイトで必要書類を確認し、不明な点があれば相談しましょう。

5. もしも生前の引き出しが「使い込みだ」と疑われたらどうする?

ご家族の介護に従事し、やむを得ない事情で生前に預金を引き出した場合でも相続の開始後に「使い込み」と疑われてしまったら、一体どのように対処すればよいでしょうか。

この章では使い込みが疑われた場合の注意点と対処法をわかりやすく解説します。

5-1. 使い込みが疑われた場合の注意点

使い込み」だと疑われた場合、家族間での話し合いでは解決が難航し、調停や訴訟に発展する可能性があります。

調停や訴訟は長期化しやすく、相続税申告までに遺産分割ができなくなるおそれがあります。

しかし、遺産分割がまとまらなくても申告期限を延長することはできません。

一旦法定相続分を相続したと仮定して、申告する必要があります。控除や特例にも注意が必要となるため、税理士へ早めに相談することが大切です。

さらに、疑いをかけられた側は引き出した預金が適切に使われたことを証明しなければなりません。

証明ができない場合、引き出したお金を「不当利得」として返還請求されたり、遺産分割協議で不利な立場になったりする可能性があります。

5-2. 使い込みが疑われた時の2つの対処法

使い込みが疑われたら、次の2つの対処法を検討しましょう。

  • 領収書や家計簿を使って説明する

調停や訴訟に発展する前に、引き出したお金の使途を明確に証明することで早期の解決を目指しましょう。

領収書や家計簿などが役立ちます。

  • 弁護士へ相談する

疑いをかけてきた相続人に弁護士がいる場合は、ご自身も早めに弁護士へ相談することがおすすめです。

弁護士は、どのような資料が有効な証拠になるかアドバイスしてくれたり、相手方との交渉を代わりに行ってくれます。

6. 生前の預金引き出しは慎重に検討しましょう

生前に預金を引き出す行為は、それがたとえ正当な理由であっても、後に思わぬトラブルの火種となる可能性があります。

特に多額の引き出しを考えている場合は、他の相続人と事前に話し合い、目的と使途を明確にしておくことが重要です。

また、相続放棄を予定している場合や葬儀費用の取り扱いに悩んでいる場合は、早めに専門家へ相談しましょう。

やむを得ない理由で引き出しを行う際には、もしもの場合に備え、領収書や家計簿を保管して使途の透明性を確保するよう心がけましょう。

監修

中村亨

日本クレアス税理士法人 代表
税理士
公認会計士

2002年8月に会計事務所として創業、2005年には税理士事務所を開業し、法人や個人のお客様の会計・税務の支援をする中で、「人事労務の問題を相談をしたい」「事業承継を検討している」といったお客様のニーズに応える形でサービスを拡大し続け、現在では社会保険労務士法人など複数の法人からなるグループ企業に成長してきました。お客様に必要なサービスをワンストップで提供できることが当社の強みです。

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